第14代/初代女子ヨット部主将 鈴川(旧姓奥野)佳世子
「広島大学ヨット部への感謝」
ヨット部創部75周年おめでとうございます。
私は1962年入部、初代女子ヨット部主将の鈴川(旧姓奥野)と申します。
在籍時はちょうどヨット部75周年の歴史の中でもたぶん一番の最盛期であり、また広島大学体育会設立準備が大いに盛り上がり、ヨット部の部室にいろいろな運動部の主将が頻繁に出入りしていた時期にあたります。周りの方々に応援していただいて女子ヨット部を立ち上げたのもこの時期です。
1962年大学入学の春、水泳も苦手で過保護で虚弱な風が吹けば飛ぶような小柄な私が、見たこともないヨットに乗ってみようと思い立ち、勇気を出して入部しました。女子部員はほんとに数人でしたが、とてもラッキーなことに1年生の時から3年間夏の国体に県代表としてスキッパーで参加させていただくことができました。岡山国体での皇后杯2位のレースと新潟佐渡島国体の強風化で沈艇が続出した壮絶なレースが特に印象に残っています。台風下の瀬戸内海横断レースに女性で参加して、大きな三角波にのまれて沈没し、海上保安庁の上陸用舟艇に収容されたときは中国新聞にも出ました。
大学時代は天気の良い日は宇品の海へ、天気が悪い時だけ大学に行き、真っ黒に日焼けしてどっちが前かわからないなどとからかわれるほどの学生でした。1年生の時からレースに参加でき、幸運過ぎましたから4年生では後輩に道を譲りましたが、3年余り懸命に海に通ったおかげで私は80歳の今日まで本当に健康に過ごすことができたとヨット部にいたことを深く感謝しています。
夫の仕事関係で3人の子供とともに国内で転勤を重ね、37歳でイギリスまで行き、帰国後43歳からは日本語学校の教師を始め、仕事と家事を両立させた後、62歳で単身中国に出かけました。中国では日系IT開発関連会社の社内研修担当日本語教師を18年間続け、今年5月に帰国してきました。今はオンライン授業を少し続けています。72歳の時は、なかなか上手にならない中国語に業を煮やして、とうとう蘇州大学で2年半、仕事しながら若い留学生と一緒に懸命に勉強し、最年長で頑張っている自分に拍手を送りたい気分になれました。振り返ってみれば、子供の時思い描いたものとは違いますが、かなりつらい日々もヨット部で培った体力と精神力で克服し、充実した人生を過ごせたかなと思います。
艇のバランスを取るために次のマークまで海面まで頭をつけながら顔に波をかぶり、手の甲はロープで擦りむけていた日々は若かったから耐えられた思い出です。思い出といえば、今も夜明けの清々しい空気を吸うと、海の匂いとともに包ヶ浦の合宿を、そして肩を組んで歌った「怒涛の譜」を思い出し、晴れやかな若い気分になります。
実をいうと、学生時代の私は、親切でもなく、生意気で、根性だけのようないささか人間として問題があったと今もお世話になりっぱなしだった優しい先輩の方々や同輩の方々に申し訳なく思う気持ちが消えません。本当にありがとうございました。
キャンパスが遠くなった今も瀬戸内海でヨットに乗ることを愛している方々があるのは素晴らしいです。これからもずっと、熱くて楽しくて充実した学生時代の思い出が作れるヨット部が続いていくことを心から期待しています。
2024年6月 鈴川佳世子