第9代 皆川多郎

しぶき会の資金募集活動について

最近のしぶき会では各大学の新艇製作ラッシュの為に国立大学が資金的に遅れを取っているという危惧があるようなことを聞きます。結果として広大の艇、セールは古いと言われます。

最近はあまり話題に出ませんが今までのしぶき会資金調達の歴史をたどって今後の方針について会員の皆さんと一緒に考えてみましょう。

広島大学ヨット部は1951年広島にて開催された国民体育大会の時に使用したスナイプ、A級ヂィンギー艇の払い下げを受けで部活が始まったと聞きます。

まずは1958年広島湾にて全日本個人選手権大会が広島湾にて開催されてスナイプ、A級デンギーの2クラスでの選手が全国から自艇で集まり熱戦が繰り広げられた。我々にとっては国内の最高峰のヨットレースを目の前に見て圧倒されました。この中で東京、巴工業㈱所属の谷氏が乗艇していたディンギー赤、青、が皆さんの脚光を浴びて渡辺監督の一声で2艇を広島大学ヨット部にて購入することを決めました。まずは現物を目の前に置いて支払いはそれから考えると言う方法でした。その上、スナイプ735、デンギー740の新艇2艇を設計、製造し計4艇の取得を決定した。そこでこの4艇の支払いの重圧が現役にのしかかって来た。当時のキャプテンは河田氏でした。OBはまだ若くて資金的には余裕のある状態ではなかった。

そこで以前松山ミキコバレー団の講演で資金を集めた経験のある現役から興行をしてはどうかとの提案がでた。当時はヨット部主催のダンスパーティが春、夏、冬と頻繁に行われていたがその時の収益は県税を納付後手元に残る利益は4~5萬円/回であった。その他のアルバイトとして広島市から祭りの行事の運営を引受けて毎年参加していた。その時、浮かびあがったのがペギー葉山の興行を実施する行事であった。ペギー葉山の寺と皆川の寺が同じ寺で住職さんに東京の小鷹狩家を紹介してもらいその紹介状を持って上京したのが始まりでした。
当時、卒業直後の山本弘樹氏が東京にて勤務しておられたので広島で学生が受け取った紹介状を持って上京して東京にて同嬢マネージャー太田氏との交渉が始まった。広島での土曜日の2ステージ公演が決まった後岩国工業地帯の組織“文音”と日曜日2ステージの公演もお願いに行き受けてもらった。これも各人関係者の紹介等の努力の結果でした。広島で2ステージ、岩国で2ステージの公演の収益で前述4艇の購入資金を捻出することが出来て私も大学を無事卒業して渡米した。

其の後、雪村いずみ、東京キュウバンズボーイ等の興行が資金調達のために各年代によって行われたと聞く。

しぶき会会員のデータベース化
10年経過して広島に帰ってみるとしぶき会総会が毎年開催されてその都度OBからの会費が会場で徴収されていた。その後は遠征等が行われる都度会員から資金を募って参加者から送別会の時に集めた資金を遠征する選手に渡していた。当時は決算書等の記録は見当たらなかった。このような方法ではヨット部は強くなれない、何とかして財政基盤を確立することが必要と考えてしぶき会事務局を私が引き受けて県連がアジア大会の為に使い始めたMacを瀬尾先輩から借用して“しぶき会”名簿のデータベース化を当時の“ファイル・メーカー“ソフトを使って大場史郎氏の協力を得て作成し、全会員の入力には当時広島会計学院の久保氏に協力を得て実施した。全会員の年会費、インカレ援助金、その他の援助金、のデータを入力後、システムは年々修正・更新・改良されて磨きがかかり住所変更等も随時更新されて年会費、特別会費等の入金状態も過去にさかのぼってワンタッチで検索できるようになった。最近は個人情報保護法ができて名簿の取り扱いが難しくなってきましたがしぶき会会員の動向を確実に把握することが組織の強化につながると考えていました。

レッドハット(RH)の導入
入金状態が分かっても未入金の会員が多数いたのでその会員の入金意欲を促進する為に会員が60才に到達し時に還暦の赤い帽子(RH)を贈呈することを始めた。呉の高田帽子に行き帽子のデザインを打合せ名入りの方法等を決めた。数量が少ないと単価が高くなるので100個単位で制作をお願いすることとしてしぶき会の経費を最小限にしてRHを導入した。しぶき会会員に帽子を贈呈すると言う事ははじめての試みで年会費の未入金が会員が還暦の年齢に近づくと驚くほど少なくなって来た。

ゴールドハット(GH)の導入
RHのみでは飽き足らづ庭田元会長から会員が70才になった時にはゴールドハット(GH)を贈呈することを導入して会員が70才に到達たら年会費を免除すると言うシステムにした。

高齢者会員の年会費入金促進はこのようにして解消しできたが比較的若い会員のしぶき会に対する忠誠心が低く高齢の会員が現役を在学中に援助したにも関わらづ現役を卒業後後輩の援助が少なかった。

艇庫移転新艇庫建設
長年、向宇品の国有林の土地を営林署から借り受けて艇庫を建設したものを長年使用してきたが土地の借用代金が値上がりしてきてこの土地代金をしぶき会が負担することが耐えられなくなり広島大学運動部東広島移転の最後の倶楽部として牟田学長時に向宇品に建設されていた艇庫を観音マリーナのヂンギーヤードに広島県から土地を賃貸して広島大学本部・医学部合同で建設するとになった。観音マリーナに艇庫が完成した時にしぶき会で会員から資金を募って現役に贈呈すると言う事で観音マリーナ艇庫完成基金の募集を始めた。一人当たり5万円の基金額が若いしぶき会会員から高額すぎるとのクレームが出てヤングOBは2万円で残りの2万円を翌年に回収すると言う事でオールドOBからは5萬円集たことがある。このヤングOBからの最初の2万円は一部集まったが残りの2万円を集めたということは今まで聞いた事が無い。

今後の資金募集について
先日の木曜会の議論の中で75周年記念行事の一端として現役から募金を集めると言う意見がでていたが今まで記述した様なしぶき会会員の会費、基金の支払い状況を振り返って見ることが必要ではないかと私は考える。勿論、若いOBは金銭的には厳しい所があるであろうとは考えられるがそのあたりの不払いがどのようになっているのかを分析する必要があるのではないかと思う。名簿の中の支払い状況を調べて見ると今まで支払っていた会員は順次過去の人となってきている。言い換えれば若いOBの中の未払いを何らかの方法で掘り起すことが年会費増になるのではなかろうか?でないとしぶき会年会費の集まりも年々少なくなってきている。インカレ援助金、しぶき会年会費等は同学年又はレースを共にした仲間から言われると何だか協力したい気持ちになると思う。そのためには各学年の主将、チーフが中心となって前後に協力の声かけをする仕組みを作ることが一つの有効な方法ではないかと私は考えます。現在の執行部でもっと良い方法があれば早期に実行に移すことが必要であると考えて居ます。

色々と私の考えを述べましたが皆さんが一番良いと考えておいでの方法で実行してみようではありませんか?

        2024年5月10日  皆川多郎